原爆投下に影響を与えたH.G.ウェルズ   

かつてトランプ・タワーにも入居していて
民主党支持者でヒラリークリントンとオバマを支持、寄付をしている
2005年に大々的に宣伝されたスピルバーグ映画
「宇宙戦争」の原作者はH. Gウェルズだった。
私はこの映画を見て人間の生き血を吸い尽くすというシーンが何度かでていて
大変気分が悪くなったのを覚えています。
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【Wikipedia】ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells, 1866年9月21日 - 1946年8月13日)は、イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる。社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。H・G・ウエルズ、H.G.ウェルズ等の表記がある。
❐社会活動 第一次大戦後、戦争を根絶するために国際連盟の樹立を提唱し、ワシントン会議に出席。『新世界秩序』では、全ての国家に人権の遵守と軍備の非合法化を訴えた。また、母性保護基金、糖尿病患者協会、新百科全書、人権宣言などの運動を行なった(後述)。政治家との交流としては、ウッドロウ・ウィルソンへの直談判、ウラジーミル・レーニン、フランクリン・ルーズベルト、ヨシフ・スターリンとの会見などを行なった。
❐原子爆弾
小説『解放された世界』は、原子核反応による強力な爆弾を用いた世界戦争と、戦後の世界政府誕生を描いた。核反応による爆弾は、原子爆弾を予見したとされる。ハンガリー出身の科学者レオ・シラードは、この小説に触発されて核連鎖反応の可能性を予期し、実際にマンハッタン計画につながるアメリカの原子爆弾開発に影響を与えた。

❐国際連盟
第一次世界大戦中に論文『戦争を終わらせる戦争』を執筆。大戦後に戦争と主権国家の根絶を考え、国際連盟を樹立すべく尽力した。しかし、結果的に発足した国際連盟はウェルズの構想とは異なり国家主権を残していたため、『瓶の中の小人』という論文で国際連盟を批判している。のちに発足した国際連合も同様に批判した。

❐新百科全書運動
世界平和の基盤となる新世界秩序のための知識と思想の集大成として、1920-30年代に新百科全書運動を展開する。これに関する著書『世界の頭脳』においては、書籍の形態をとらない世界規模の百科事典を構想し、現在のウィキペディアの構造を予言していたとも言われる。

❐人権宣言
第二次世界大戦の勃発に触発され、1939年にウェルズは『新世界秩序』で概略を述べていた「人権宣言」についての書簡を『タイムズ』とルーズベルトに送る。この人権宣言と、それを基に1940年に作成されたサンキー権利章典は、1941年1月6日のルーズベルトの一般教書の中の「四つの自由」を包含しており、さらにのちの世界人権宣言などに影響を与えたとされる。

❐日本国憲法
ウェルズは日本国憲法の原案作成に大きな影響を与えたとされる。特に日本国憲法9条の平和主義と戦力の不保持は、ウェルズの人権思想が色濃く反映されている。

❐世界政府
ウェルズの最も一貫した政治的理想は世界の国家でした。 彼は自伝で、1900年以降、世界国家は不可避だと考えていたと述べた。 彼は国家が科学を発展させ、国家主義を終わらせ、人々が誕生よりもむしろメリットによって進歩することを可能にする計画された社会であることを構想した。 ウェルズの1928年の本「The Open Conspiracy 」は、貧困や戦争などの問題を取り除くために働く、科学的エリートによって支配される「世界共通」を主張すべきだと主張した。 1932年、ウェルズはオックスフォード大学の Young Liberalsに 、 漸進的指導者は独裁主義者の主張に対して「熱狂と自己犠牲に挑戦する」 リベラルな ファシストにならなければならないと語った。 1940年に、ウェルズは、世界政権がどのように設立されるかについての彼の計画を概説した新世界秩序という本を出版した。 ウェルズは新世界秩序において、そのような政府の設立には長い時間がかかり、断片的な方法で創造される可能性があると認めました。 
          
これが レオ・シラードに影響を与えたとされ
広島・長崎を予見したといわれている本。
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https://www.overdrive.com/media/1541347/the-world-set-free


❐The World set Free 邦題:「開放された世界」のあらすじ
石炭,石油が枯渇し,原子力の開発によって大量解雇など世界経済の混乱がつづく1950年代.局地的な紛争が世界戦争へと発展,原爆投下によって大惨事がひきおこされる.そして,戦争と国家から解放された新世界秩序に基づく,人権による世界国家成立への動きがはじまる…1914年の時点で今日の核戦争の危険性を予見した書.

Wikipedia H・G Wells
ウェルズの原子物理学の知識は、 ウィリアム・ラムゼイ 空気中の希ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定)、 アーネスト・ラザフォード  原子物理学の父/元素の崩壊、放射性物質の化学に関する研究)、 フレデリック・ソディー(原子壊変説・アイソトープの発見)から得た。 ウェルズの小説は、物理学者レオ・シラードが中性子が発見された同年、1932年にこの本を読んでいたため、核兵器の開発にも影響を与えた可能性があります。 1933年にレオ・シラードは中性子連鎖反応の概念を想起し、1934年に特許を申請した。

ソディの研究と放射性物質に関する新たな知見をわかりやすく紹介した評論は、ハーバート・ジョージ・ウェルズの小説『解放された世界(英語版)』(1914年)に大きなインスピレーションを与えた。この小説は未来に起きる長期の戦争で複葉機から投下される原子爆弾が描かれていることが特徴で、混乱から平和な社会が出現する内容である。ソディは著書『Wealth, Virtual Wealth and Debt(富,仮想的な富そして負債)』(1926年)においてウェルズの『解放された世界』を称賛している。ソディはまた、放射性物質のプロセスがおそらく恒星の原動力であろうと述べている。

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     ウェルズの著書:新世界秩序     

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Wikipedia 新世界秩序New World Order いう用語自体は第一次世界大戦後頃から英米の政治家によって多用されるようになった。公式で確認されている中でも、国際連盟の設立とベルサイユ体制の構築によって大国間の勢力均衡が大きく変化したことを指してアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領が新世界秩序という用語を使っている。
その後、第二次世界大戦の悲惨な帰結を見たウィンストン・チャーチルが破滅的な世界大戦を避けるには国民主権国家を廃絶し世界政府の管理による恒久的な平和体制の実現が不可欠であるとして、この言葉を使った。
SF小説家で歴史家としても著名なH.G.ウェルズは国家の存在を認める国際連盟を批判し、主権国家の完全な根絶と、高級技術官僚や少数のエリートによる世界統一政府を通じた地球管理を訴え、1940年に『新世界秩序』(New World Order)を出版しその持論を述べた。
ビル・クリントンの大学時代の恩師で、戦略国際問題研究所の拠点・ジョージタウン大学国際学部教授のキャロル・キグリーは1966年に1,300ページにも及ぶ大著『悲劇と希望』(Tragedy and Hope)を出版し、新世界秩序の世界像を書いている。キグリーはこの著書の中で各国の文明史・政治史を詳細に分析し、1648年以降のウェストファリア体制 (独立した主権国家同士による勢力均衡体制) を『悲劇』とし、イギリス・アメリカを拠点とする国際金融資本による世界統治を『希望』として描いた。この著書は出版当初はほとんど反響はなかったが、後に陰謀史観のコミュニティに大きな影響を与えた。
この用語が陰謀史観のコミュニティだけではなく一般にも広く知られるようになったのは、1988年12月7日にソビエト連邦指導者のミハイル・ゴルバチョフが、全世界に向けて行った国連演説がきっかけである。また1990年9月11日にジョージ・H・W・ブッシュ大統領が湾岸戦争前に連邦議会で行った『新世界秩序へ向けて(Toward a New World Order)』というスピーチでアメリカでも有名になった。その他に、ヘンリー・キッシンジャー、ビル・クリントン、トニー・ブレア、ゴードン・ブラウン、ジョージ・ソロス、デイビッド・ロックフェラーなどがこの語を使ったことで知られる。2013年4月5日には、アメリカのジョー・バイデン副大統領が、アメリカ輸出入銀行(Export‐Import Bank of the United States)で開かれた会議で、
The affirmative task we have now, is to actually create a new world order, because the global order is changing again…
…世界秩序が再び変わりつつある中で、我々が今抱えている肯定的な課題は、実際に新世界秩序を創造することである。と発言した。


 H.G.ウェルズー 社会主義ーフェビアン協会 

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http://www.wakeupkiwi.com/The-Conspiracy-to-Rule-the-World-2.shtml
カメはファビアン・ソサエティの象徴であり、
社会主義の漸進的な拡大を目標としています。
上記画像、羊の服を着た狼は、元の紋章であり
否定的な意味のために後に放棄された。

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H.G.ウェルズ/フェビアン協会公式サイト:http://www.fabians.org.uk/

”ファビアン・ソサエティは革命的な転覆によってではなく、民主主義における漸進的かつ改革的な努力を通じた民主社会主義の原則を進めることを目的とする英国の社会 主義組織です。” ” 1900年の労働代表部委員会の創設組織の1つとして、それから成長した労働党に重要な影響を及ぼすとして、ファビアン協会は英国の政治に強力な影響を与えた。第三世界の将来のリーダーとなる多くの者がフェビアン思想に感化された。特に、インドのネールは、フェビアンの社会民主主義に基づき、人間性の5分の1のために経済政策を組み立てた。”20世紀を通して、労働党に常に影響力をもっていた。労働党の党首およびイギリスの首相となったラムゼイ・マクドナルド、クレメント・アトリー、アンソニー・クロスランド、リチャード・クロスマン、トニー・ベン、ハロルド・ウィルソン、トニー・ブレアらがフェビアン協会のメンバーであった。ゴードン・ブラウンもその一員である”

   
日本語版Wikipedia:フェビアン協会
英語版Wikipedia:フェビアン協会

 ウェルズは優生学支持者 

社会主義と同時に優生学を支持するウェルズは、社会主義団体フェビアン協会に参加すると同時に、著名な優生学支持者の一人だった
HG Wells: Darwin's Disciple and Eugenicist Extraordinaire
by Dr. Jerry Bergman on December 1, 2004
ウェルズは、地球を「劣った」人種や民族から排除する効果的な方法として、殺害だけでなく滅菌と避妊も提唱しました。 ウェルズは、進化は、それ自身では、
「進歩的」ではなく、教育されたエリートによって「指示」される必要があると信じていた。 このため、優生プログラムの確立に積極的に取り組んだ。

https://answersingenesis.org/sanctity-of-life/eugenics/hg-wells-darwins-disciple-and-eugenicist-extraordinaire/

 ウェルズは、ミニチュア戦争ゲームの父 

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ウェルズは、戦争ゲームをするためのより構造化された方法を模索し、 Floor Games (1911)、 Little Wars (1913)の順に書いた。 リトルウォーズは、最初のレクリエーション戦争ゲームとして今日認められており、ウェルズはゲーマーや愛好家によって「ミニチュア戦争賭博の父」とみなされています
Wikipedia:H.G.Wells LittleWars Floorgames

  ウェルズ、フリーメイソン説・三百人委員会 

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❐HGウェルズはフリーメイソン(Freemasonry)という説があったがブリティッシュコロンビアのグランドロッジ公式サイトではHGウェルズがメイソンメンバーでないと否定している。秘密結社のためフリーメイソンの公式サイトにこの人物はメンバーでないとわざわざ書かれてるとそれ以上追及はできない。
http://freemasonry.bcy.ca/biography/index.html
http://freemasonry.bcy.ca/biography/wells_h/wells_h.html

❐HGウェルズが、秘密組織・三百人委員会(Committee of 300)の最高幹部の知識人であるという説は元英国情報将校ジョン・F・コールマン博士の本からきているようですがこの本を読んでおらず詳細不明。
http://www.ohtaryu.jp/blog/old-articles/j-1215622391.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%99%BE%E4%BA%BA%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A


  ウェルズに影響を受け原子爆弾開発に関わったレオ・シラード  

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”シラードは、SF 作家 H・G・ウェルズの大ファンとして知られ、1920年代のベルリン在住時には彼の小説をドイツ語圏に紹介することに尽力した。特にこの時期に発表されたウェルズの小冊子『開かれた策略』(The Open Conspiracy, 1928年)は、世界の政治的状況とその未来に対し強い関心を持ち続けた彼に大きな影響を与えたのではないかと指摘されている。この小冊子では、世界のかつてない変化に対応して、科学的精神を持った多くの集団が国家の枠組みを越え戦争を廃絶させる世界共同体の創設をめざして活動するための「策略」が議論されていた”

”核軍備管理 シラードはH・G・ウェルズと同様に世界政府 (world government) の実現や世界法の制定による戦争の廃絶を理想とした。シラードにとって冷戦期の問題は、全面核戦争を起こすことなく戦争を廃絶させる国家の上位組織を作り上げる道を見出せるかどうかということだったが、晩年までその見通しは暗いものと考えていた。シラードはその原因をナショナリズムと信頼の欠如とに見ていた。こうした理想の一方で、戦後の核開発競争に抗してなされたその時々の主張はプラグマティックで、またしばしば奇抜なものであった。シラードのアメリカ政治に対する分析は多元主義的なものであり、ニューレフトの急進主義や、理想主義的な平和主義、また政府のシンクタンクとも距離をとり、その信は飽くまで科学者コミュニティーの合理主義に置かれた。しかし、戦後の他の軍縮活動と同じく、いずれの活動も冷戦の大きな政治的力の前で決定的な役割を果たすものとはならなかった”

”生物学の道をほとんど選びかけていた1933年9月、シラードはロンドンで著名な物理学者アーネスト・ラザフォードが行った講演の新聞記事を眼にした。ラザフォードはそこで、原子核の秘めたエネルギーを工業的規模で解放するのは絵空事 (moonshine) であると説いていた。この記事は、彼にベルリンで読んだウェルズの SF『解放された世界(英語版)』(1914年)を思い起こさせた。そこでウェルズは逆に原子エネルギーの開発とそれによる核戦争の勃発を予見していた。

これらをきっかけにシラードは原子エネルギーについて終始考えを巡らせるようになった。ある日、ロンドン・サザンプトン通りの交差点で信号待ちをしている間に、前年発見された素粒子中性子による連鎖反応の理論的可能性に不意に思い至った。電気的に中性な中性子は容易に原子核に衝突させることができ、もしそれによって複数の二次中性子を放出するような種類の原子が存在すれば、莫大な核のエネルギーが放出されることになる。

シラードはすぐさま核エネルギーに関するいくつかの特許を取得した。後には、核連鎖反応のアイデアがナチス・ドイツに洩れることを防ぐために、この特許をイギリス陸軍に譲渡し秘密扱いにするよう申請したものの拒絶され、海軍へと同じ申請を行った。彼はいくつかの根拠からベリリウムやインジウムなどを連鎖反応を生成する可能性のある有力な候補とみなし、病院の施設を借りて実験を行った。 実験によってベリリウムは中性子源として利用できることが判明したものの期待した連鎖反応を起こさないことが分かった。他の元素での実験を企図したものの、亡命先でしっかりした地位がなかったため資金難から十分な実験を行うことはできなかった”
レオシラード(日本語版)
Leo Szilard(英語版)

 原爆研究開発の発端になったとされる 
  アインシュタイン=シラードの手紙 

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1939年、物理学者アインシュタインからフランクリン・ルーズベルト大統領宛に送られ、アメリカの原子爆弾開発のきっかけのひとつとなったことで知られる手紙について述べる。 この手紙に特に定まった呼び名はなくアインシュタインからルーズベルト大統領への手紙(または書簡、信書など)のように説明的に参照されることが多い。 物理学者レオ・シラードの名が付されることがあるのは、この手紙の作成をシラードが依頼したことによる。、この手紙から8か月後に、エンリコ・フェルミとシラードは政府から資金的援助を受けることとなったが、アメリカ政府がマンハッタン計画によって本格的な原子爆弾開発に取り組むようになるまでには、これ以降3年を要している。 アインシュタインは晩年この手紙に署名したことへの後悔の念を吐露した。
1  アインシュタイン=シラードの手紙
2  シラードの請願書

アインシュタインとシラードは良識派でマンハッタン計画には全く関与していない、その手紙が広島・長崎に原爆投下に至るとは全く知らなかったというのが通説のようですが、アインシュタインがドイツからヨーロッパ各地を移動して最終的にアメリカ人に帰化、アメリカ海軍兵器局の顧問に就任している

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なぜ、原爆投下の翌年に世界政府樹立を提唱するのか?
謝罪、核廃絶、戦争撲滅、という段階を経てならわかるけど、いきなり世界政府樹立提唱(世界連邦運動)という異様な動きをみると、日本への原爆投下計画を最初から知っていて世界政府樹立が目的だったのでは?…と思えてきますね。

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日本への原爆投下マンハッタン計画の指揮官オッペンハイマーと
1945年終戦、1948年には、湯川秀樹(世界連邦運動5代目会長)はオッペンハイマーからプリンストン高等研究所の客員教授として招聘を受けている。ニュージャージー州にあるこの研究所は、当時世界のトップクラスの研究者を集めており、アインシュタインも終身研究員の一人であった。
ちなみにアインシュタインとHGウェルズとの写真、HGウエルズと仲よかったチャールズ・チャップリンがハリウッドにきたアインシュタインをエスコートしてるかのような写真もある。

HGウェルズとアインシュタインの画像➟ その1 その2
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その他の画像容量でUPできないのでリンク貼ります

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シカゴ大学でシカゴパイル1号の建設(歴史上初の原子炉を記念して撮られた写真)
1人コート姿のシラード
Wikipedia シカゴ・パイル1号(Chicago Pile 1、CP-1)とは、歴史上初めて臨界に達した最初の原子炉の名称である。最初の原子炉CP-1が組み立てられた。原子炉は最初の計画ではシカゴ郊外のアルゴンヌの森の中に建設されることになっていたが、建物の完成を待てなかったため、シカゴ大学のフットボール場のスタンドの下を利用した建設を急いだ。1942年11月4日に炉の組み立てが始まり、一か月後の12月2日に試運転が行われた
CP-1は原子爆弾材料のプルトニウム239生成用原子炉を設計するための実験炉として開発された。このCP-1の成果を元につくられた原子炉で生成したプルトニウムは1945年8月9日、長崎に投下された原爆に利用され、数万人が死亡した。

最初の原子炉CP-1が組み立てられた。原子炉は最初の計画ではシカゴ郊外のアルゴンヌの森の中に建設されることになっていたが、建物の完成を待てなかったため、シカゴ大学のフットボール場のスタンドの下を利用した建設を急いだ。1942年11月4日に炉の組み立てが始まり、一か月後の12月2日に試運転が行われた
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=16-03-03-12

 ウェルズの訳者 浜野輝が日本国憲法への影響について書いている

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ウェルズらの纏めた人権宣言の「サンキー権利宣言」と日本国憲法の対比を考えると、戦争放棄は幣原や裕仁の発案ではなく(または、発案があったとしても)ウェルズから頻繁に手紙のやりとりをしていたルーズベルト、そしてマッカーサーへと引き継がれた原案から存在していたと考えられるのである。しかし、マッカーサー・ノートにはウェルズの人権思想とは関係ない天皇制度の囲い込みが当初から存在し、そして、原案にあったいくつかの権利に関する条項は削除され、自衛戦争の放棄もカーティスが削除してしまった。このために吉田はトルーマン、マッカーサーの戦力の回復要求をはねつけきれず警察予備隊が作られ、自衛隊が発足することになってしまった。この日本国憲法が発布される前にウェルズは他界した
http://www.asyura2.com/0505/war71/msg/187.html
https://www.nippyo.co.jp/shop/author/2809.html

憲法改正は最終的にこれが目的なのでしょう。
シカゴ大学世界憲法予備草案➟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%86%B2%E6%B3%95%E4%BA%88%E5%82%99%E8%8D%89%E6%A1%88

今も原爆投下の多大な被害にあいながら”核の傘の下”で守られていると
刷り込まれている日本において、憲法を改正すれば今より国家の主権をなくす結果に。原爆研究開発したシカゴ大学が何故憲法を草案しているのか?
今も比較憲法プロジェクトをシカゴ大学教授とGoogleがやっているのか?
をみれば見えてきます。続く>>