SEALDSが団体のPR動画・解散告知動画の一部 
として二回原爆投下映像をYouTubeへ投稿。            
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Peace for 70 years and infinity; MESSAGE FROM JAPAN to ASIAN COUNTRIES AND THE WORLD, 2015.
https://www.youtube.com/watch?v=jwiYzpaa30o

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”米大統領の歴史的被爆地訪問実現に向け、オバマ大統領へ向けた皆様からのメッセージを募集してきた「オバマへの手紙」は、2年あまりにわたって活動を継続してきました。私たちはその間に寄せられた1,400通余りの皆様の思いをホワイトハウスへ二度にわたって届けて、市民の方や被爆者の方の謝罪にこだわらないヒロシマの心、被爆米兵の事実などを詳細にホワイトハウスへ伝えました。これらの活動が実を結び、2016年5月27日午後、オバマ大統領の広島訪問が実現しました。” 

【民放】広島テレビ みんなで未来を創ろうプロジェクト~オバマへの手紙~  世界のリーダーを広島へ

 核のフットボール(核発射ボタン)が    
 戦後初めて広島に持ち込まれることになった。

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「オバマさんが広島に滞在した1時間40分ほどの間、広島が実質的な“発射基地”になっていたわけです。その傍で平和を語るという状況たるや、まるでマンガのような滑稽さです」

 そう断じるのは、原爆ドームの世界遺産登録に尽力した平岡敬・元広島市長。このカバンで作動できる米国保有の核兵器の威力は、広島型原爆(15キロトン)の実に2万2000発分に相当する。
出典元:オバマ大統領の矛盾…広島訪問にも核発射ボタンを持ち込んでいた
 http://www.dailyshincho.jp/article/2016/06130551/


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世界で初めて原爆が投下された地点の真下に核の発射ボタン
原爆で死んだ死者の冒涜ではないのか。

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 オバマ大統領の広島訪問平和記念公園での式典 
 列席したアメリカ側からの招待客だった    

在日米国大使館の公式マガジン”アメリカンビュー”には
アメリカ側から招待した人物の名前一覧と経緯について
公開していた。(公式サイト http://amview.japan.usembassy.gov/

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オバマ大統領の広島訪問:平和記念公園での式典に列席した米側招待客
http://amview.japan.usembassy.gov/hiroshima-guests/

みんなオバマに好意的で、満面の笑顔の人物までいるワケは
アメリカ側から事前に選ばれた招待客だったからのようですね。
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 オバマが肩を抱いてるのは在日米軍捕虜のために 
 尽力した歴史研究家の森重昭さん        

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自らも被爆者である森重昭さんは、広島の原爆で亡くなった12人の米軍兵士の捕虜が、原爆の犠牲者と認められるよう、たゆまぬ努力を重ねた。41年以上かけて彼らの足跡をたどり、遺族が気持ちの整理をつけ、慰めを得られるよう力を尽くした。またこの国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の死没者名簿に彼らの名前を登録するために遺族を支援した森さんの長年の取り組みを描いた映画「灯籠流し」についての記事はこちら。

「国境ない」ーOneworld これを強調したかったわけね。
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「知られざる被爆米兵~広島の墓標は語る~」
http://yy1002.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/2016-9-95c2.html
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森 重昭(もり しげあき、1937年3月29日 - )は、日本の歴史家である。広島県在住。日本本土空襲で命を落とした連合国の捕虜に関する研究で知られている。バラク・オバマの広島訪問においてバラク・オバマと抱擁したことは世界的な注目を集めた。2016年、第64回菊池寛賞を受賞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%87%8D%E6%98%AD

     広島県被団協の坪井直理事長と談笑   

日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の坪井直さん(91)は
27日、オバマ米大統領との対面後に広島市内で記者会見し、広島への原爆投下について、オバマ氏に「米国を責めていないし、憎んでもいないと伝えた」と明らかにした。オバマ氏は、坪井さんの手を握りしめたという。
オバマ氏の広島訪問は「(核廃絶への)一歩として評価したい」と強調。
「これからが大事だ。『時々広島に来て』と言ったら、(オバマ氏の)握手が強くなった」と語った。
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 坪井直(1925年5月5日 - )は日本原水爆被害者団体協議会代表委員で、広島県原水爆被害者団体協議会理事長である。元教師。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%AA%E4%BA%95%E7%9B%B4
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http://www.htv.jp/pfp/obama/message/index.html

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坪井直代表委員と面会する鳩山由紀夫代表 2009・8・ 6
http://www.flickriver.com/photos/44003624@N08/4041590833/

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http://raymiyatake.jp/blog-entry-2499.html
提訴から6年 原爆症認定集団訴訟一括解決へ道筋
   ――全原告救済、「被害実態に見合った行政」へ大きな一歩 (2009.8)
http://www1.odn.ne.jp/hikaku/kaku-info/kaku-info-0908-1.html
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オバマ広島訪問 全文 めら速
http://mera.red/%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81%E5%85%A8%E6%96%87
広島)オバマ氏との対面、若者に語る 被爆者2人が講演http://www.asahi.com/articles/ASJ943TSHJ94PITB001.html

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    オバマ広島訪問でアメリカ大使館から   
     招待で列席した5名の詳細情報      

   伊東次男さん  

伊東次男さんは子どものころ被爆し、兄を放射能中毒で亡くしている。成人して結婚し、地元の銀行に勤務しながら2人の子どもを育てた。2001年9月11日に同時多発テロが発生したとき、長男の和重さんはニューヨークのワールド・トレード・センターで働いていた。和重さんは初め行方不明とされたが、その後死亡が宣告された。長男を亡くしたにもかかわらず、伊藤さんは自らの悲しみを、より平和な世界の実現に向け取り組む力とした。これまでにケネディ大使をはじめ何人かの駐日米国大使と面会したことがあり、在日米国大使館で行われた同時多発テロの犠牲者を追悼する式典にも参加している

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オバマ大統領 広島訪問 対面した遺族は|特集ダイジェスト| NHK おはよう日本 http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2016/05/0528.html

二つの爆心地 兄と子奪う 広島県 伊東次男さん
(2009年10月14日 朝刊)

http://www.asahi.com/hibakusha/shimen/kikitakatta/kiki2009-03.html

オバマ大統領に伝える「2つのグラウンドゼロ」

http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2016/05/0530.html


       カノウヨリエさん / カノウトシハルさん  


カノウヨリエさんはわずか2歳で、両親、弟と共に、広島の爆心地から800メートルの場所で被爆した。弟は胃の病気で6カ月後に亡くなった。原爆投下の際妊娠していたカノウヨリエさんの母親は、1946年3月にトシハルさんを出産した。カノウさんの両親はハワイ生まれの日系2世で、第2次世界大戦前に日本に帰国していた。カノウさん一家はその後、米国に戻った。カノウヨリエさんは現在カリフォルニア在住。今回の広島訪問は45年ぶりの里帰りであった。

カノウトシハルさんは広島への原爆投下の半年後、1946年3月に生まれた。母親の胎内で被爆。これまで放射能汚染が原因と思われる、さまざまな病気に苦しんできた。現在、妻とユタ州に在住。家族の歴史を振り返った本「Passport to Hiroshima」を執筆した。2歳のときに米国に移住。以来、初めての広島への里帰りとなる。
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 丹羽太貫 博士 

この人物だけは被爆者ではない。人体実験731部隊やABCC
を引き継ぐ御用学者が招待されている。
2015年6月から、米国エネルギー省と厚生労働省が共同で助成する、「放射線影響研究所(放影研)」の理事長を務めている。放影研は、広島、長崎に研究施設を持ち、被爆者の健康と福祉の向上に資することを目的に、平和目的で放射線が人に及ぼす医学的影響および関連した疾病の調査研究を行う。同研究所は、チェルノブイリおよび福島の被ばく実態を調査する、科学者および医療関係者と連携しており、長期間および数世代にわたる人類への放射線の影響の研究で世界的な研究機関として知られている。丹羽博士は神戸生まれ。京都大学理学部を卒業。1975年、スタンフォード大学で生物物理学の博士号を取得。

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公益財団法人放射線影響研究所(放影研)
そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。

御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/205.html?c4

ABCC・放射線影響研究所・「731部隊」

http://masachan71.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/abcc731-9ad7.html

 福島原発事故後の被爆者の健康を  
 日米共同で調査・追跡する御用学者 

  

福島県立医科大学丹羽太貫「うるさいから黙れよ、お前!」環境省専門家会議11/26 OPTV(文字起こし)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3982.html

「福島県外の被曝量は低い」「放射能は、離れて行くほど低くなる、これが常識的知識」と福島県外の汚染を否定。

❐"日本のICRPの連絡先は、放射線影響協会にあり、ここの理事長は(昨年まで勤めていた。おそらく、今年は新理事長に交替したのだろう。)この専門家会議の座長・長瀧氏その人なのだから、だから…。そのICRPのメンバーである丹羽太貫氏は、国際放射線防護委員会(ICRP)の会議に参加するための航空運賃と宿泊費、そして国外のメンバーが日本を訪問するに旅費と宿泊費を、日本の電力業界が負担していたことを認めたということは新聞でも報道されたその人である。"

http://say-soh.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-8b5c.html
UNSCEARアンスケアー国連科学委員会に日本のデータを渡したのは一体誰なのかを調べてみる
http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/1279eda3d91e5c9a4cd33208c7e8c520

 岩竹恵美子さん 


岩竹恵美子さんは広島で被爆し、後に岩竹・ウォレン・信明さん(故人)と結婚した。信明さんは米国市民だったが、父親の死去に伴い一家がハワイから広島に移住した後、日本軍に召集された。末弟の孝さんが広島の原爆の犠牲になったとき、信明さんは太平洋で軍の任務に就いていた。1944年9月、信明さんが父島にいたとき、撃墜された米軍のパイロットが米軍の潜水艦に救命いかだで救助されるのを目撃した。そのパイロットは、後のジョージ・H・W・ブッシュ大統領だった。父島にいたとき、米兵捕虜ウォレン・ボーン(Warren Vaughn)と友情を育んだ信明さんは、戦後「ウォレン」を名乗り、残りの人生を日米友好の促進にささげ、在日米国大使館の広報・文化交流部門で34年間働いた。2002年に退役軍人が再会する集まりが父島で開かれ、ブッシュ大統領と対面した。信明さんは2012年に死去した

岩竹恵美子さんの情報がみつからなかったが、
故・岩竹・ウォレン・信明さんはアメリカ市民
米大使館の広報にいた人物
『「日本軍兵士になったアメリカ人たち」副題:母国と戦った日系二世 門池啓史 著』を読む - Ddogのプログレッシブな日々 
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/32012521.html
日系人の日本兵、岩竹ウォーレン信明さんの話。父島で撃ち落とされた米軍捕虜、ウォーレン・ヴォーンを軟禁して英語で話しているうちに、次第にお互いパイロットとしての友情が芽生えてしまったのです。飛行戦闘法を熱く語り合い、飛行機乗り同士の連帯感さえ芽生えていました。しかし、ある日、日本兵からウォーレンは呼び出しを食らいます。その後、ウォーレンは日本刀による首切りで惨殺されてしまいました。「何で、あんないい青年が殺されなければならないのか、今から思うとほんとうに可哀そうなことをしたと思います……」
アメリカ国籍なのにたまたま日本にいて、日本軍人になってしまった日系人達の話。『日本軍兵士になったアメリカ人たち』
http://hamazakikaku.blog136.fc2.com/blog-entry-50.html

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”戦後は東京の米通信社勤務を経て、在日米大使館の広報・文化交流部に34年間勤めた。在職中に名乗ったのは「ウォーレン・イワタケ」。父島で出会った捕虜の友、ウォーレン・ボーンさんに由来する。「彼の分も生きて日米友好に尽くす」。そう誓いを立てたからだという。” 
オバマ米大統領を迎えた夏 52分の重み <5> 日系2世の大使館員
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=61959

岩竹ウォーレン信明は
パパブッシュとCNNで出演していた。
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アメリカ側に招待されたメンバーをみていくと、最初から
アメリカ大使館が選考したメンバーで、演出も考えられていたのだろう。オバマは安心して広島に来れますし、抱きしめられた爺さんも米国捕虜のために貢献したのだから「アメリカの為に頑張ってくれて有難う」と抱擁されていたわけで、日本の被爆者と米国大統領との和解しているかのような感動的なシーンとしてメディアに取り上げられているのをみるとこの茶番劇にやりきれないな…。