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ー記録ー



ロバート・K・ウェルコックス
「ジャパンシークレット・ウォー」(1995年)が
アメリカで出版された。

あたかも日本が本格的に原爆製造に着手してるがごとく
書いているが、丁寧に読むとその製造がマンハッタン計画に比して
全く初歩的なものであったことが分かるのである。

次のように湯川秀樹は書いている。
荒勝は才能のある研究グループを持っていた。
特に1949年にノーベル物理学賞を貰った湯川秀樹がそのグループの中にいた。
湯川は1939年以降核分裂によるエネルギーの計算をし続けていた。
湯川は世界での理論物理学で有名な1人であった。
荒勝はそんな湯川を彼のいのままに使ったのである。

ウェルコックスの本の中に、
海軍が京都大学の荒勝研究所に与えた研究費は1500ドル
であったと書かれている。マンハッタン計画は20億ドル以上の金が使われた。
この点からみても、日本の原爆製造物語は書く気にもなれない。

しかし、戦後、湯川は原爆研究に関係したとは一切語っていない。
彼は都合の悪いことは全て封じ込めてしまった。

この項の終りに湯川の戦後の活動について書いておきたい。

湯川はは朝永振一郎、坂田昌一との共著
「核時代を超える」(1968年)の中で次のように書いている。
”世界平和を祈願する人たちの活動の仕方は多種多様であった。
しかし、それらの人々の出発点は同じだった。
原爆投下、それから水爆実験があたえたショックは強烈であった。
核兵器を廃絶し戦争を廃絶しなければ人類の前途は
暗黒だと直覚したのである。
非常に多くの人々に共通する直覚を最も簡明率直に表現したのが
1955年のラッセル・アインシュタイン宣言であった。
それは人類の良心の叫びとあると同時に、
新時代に所すべき人間の良識の具現でもあった。
この宣言はその最後において世界の科学者及び一般の人たちに
次の決議に署名するように呼びかけた。

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「およそ、将来の世界戦争においては、必ず核兵器が使用されるであろうし、
そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしていくという事実からみて、
私たちは世界の諸政府に彼らの目的が世界戦争によって促進されないことを
自覚しこのことを公然と認めるよう勧告する。
私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる扮装問題の解決のための
平和的手段を見いだすよう勧告する。」

このラッセル・アインシュタイン宣言の呼びかけは無駄ではなかった。
当時ほとんど不可能と思われていた東西両陣営の自然科学者の討議の場が出現した。


それが1957年の第一回 パグウォッシュ会議 だったのである。

カナダにあるパグウォッシュという名のホテルは、
「死の商人」でもあるサイラス・イートンが持ち主である。
この会議は朝鮮半島、ベトナム戦争で武器を売りまくり、
巨万の冨をつくった男が主催した会議である。
この会議には巧妙な仕掛けがあった。
それはアイゼンハワー政権の副大統領であった
リチャード・ニクソンを、
会議が「次期アメリカ大統領にふさわしい」と宣言したことであった。
J・Fケネディは核実験反対を唱えていた。
ニクソンは核実験継続を唱えていた。
バクウォッシュ会議は続けられていくが、
その費用はあの原爆を広島と長崎に投下した
連中がだしつづけたものであった。

同じ湯川、朝永、坂田共著の
「平和時代を想像するために」(1963年)の中で
湯川は次のように書いている。

”それなら、そのほかの条件とは何か、
また最終目標は何かという点になると、
ラッセルもアインシュタインも共に早くから世界連邦主義者
であったから、恐らく両氏とも心の中では
最終目標として世界連邦のイメージを描いていたと思う。
しかし科多くの学者の賛成を得るためにはそこまで
飛躍しないほうがいいと判断したのであろう。
私自身も世界連邦の理想には以前にから大いに共鳴しているが
科学者の会議でそれをはっきりとだしてよいかどうかについては、
いろいろ問題があったと思う。”

この本は1963年に出版された。

湯川は生涯、世界連邦主義者として活躍した。

私はこの世界連邦主義を唱えた連中が国際金融寡頭勢力から
操られた人々であることを研究しつくしている。
その詳細は省くが、バートランド・ラッセルも、
アルバート・アインシュタインも、
原爆を落とした国際金融寡頭勢力、
ロックフェラー、モルガン…等の雇犬であったと書いておく。
世界を一つの政府が支配するという思想ほど恐怖に満ちた思想はない、
原爆を落とした奴らは、この思想を平和思想という。

私は平和とか平和主義とかいう言葉を嫌悪する。
この西洋からたれ流された「ピース」を拒否する。
私たちは汚れちまった「平和」という言葉に変わる
新しい思想を打ち立てて、
世界連邦主義者に立ち向かわなければならない。

湯川は自分が原爆製造に関わっていたことをすっかり忘却し、
ひたすら壇上から平和主義と世界連邦を訴えた。

広島と長崎で死んでいった人よ、広島と長崎で被爆で苦しみの中に
いきていく人々よ汚れちまった「平和」という言葉に変わる
本当に美しい言葉を生き残った人たちに教えてほしい。
あなた達が心の中で叫び続けた言葉をこの私に教えてほしい。
私は今から新しく、美しい言葉を探すたびに出よう。

「昭和天皇は知っていた【国内編】原爆の秘密 鬼塚英昭」 P158ー163
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後に世界連邦運動の会長となった湯川秀樹は広島・長崎投下がされ敗戦から
3年後ー
1948年に、湯川はオッペンハイマーから
プリンストン高等研究所の客員教授として招聘を受けた。

ニュージャージー州にあるこの研究所は、
当時世界のトップクラスの研究者を集めており、
アインシュタインも終身研究員の一人であった。


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今日は広島原爆が投下された日でもあります。
私のブログでも、原爆投下に加担した勢力が
「世界連邦運動」を推進していることを
危惧してきたのですが、歴史の真相を自分で調べることは
同じ歴史を繰り返させないための追悼になるのではないかと思い、
暫く休止してたブログでしたが、今回の記事を更新しました。


ブログ主の小学校の修学旅行が広島だったのですが、
広島平和記念資料館に展示されていてショックを受けた人影の石↓
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シカゴ大学(University of Chicago)
アイヴィー・リーグの一校であるブラウン大学に同名の息子を送った資産家のジョン・D・ロックフェラーが「中西部にもブラウンの様な卓越した学問の場が必要」と莫大な資金提供をし1890年設立した。初代学長ウィリアム・ハーパーは1906年に、49歳で在職死するまで学長をつとめ、大学の基礎を築いた。
マンハッタン計画においては、グレン・シーボーグ率いる化学者らが、シカゴ大学において、当時製造されて間もなかったプルトニウムの研究を行った。1942年12月2日には、エンリコ・フェルミ率いる科学者のチームが、世界初の核反応実験に成功した。

原爆と原発 シカゴパイル1号
「世界週末時計」は、1947年、シカゴ大学の原爆第1号の製造者らの発案で発刊した雑誌のプロジェクト。https://matome.naver.jp/odai/2142197957537762201/2142198133039701803

アーサー・コンプトン

世界週末時計
起源は、 マンハッタンプロジェクトに参加したシカゴ原子科学者と呼ばれる
国際的な研究者グループに遡ることができます。 広島と長崎での原爆投下の後、
彼らは題名のあるニュースレターを発行し、その後、原子科学の広報誌
( Bulletin of the Atomic Sc​​ientists)を発表した。
The Clockは、1947年、 The Bulletinの共同設立者Hyman Goldsmithがアーティスト、
Martyl Langsdorf ( Manhattan Projectの研究仲間の妻、Szilárdの請願者Alexander Langsdorf、
Jr. )に1947年6月号の雑誌のカバーをデザインするように頼んだ。 後で説明されるThe Bulletinの共同設立者でもあるEugene Rabinowitch氏は、
ブレテンの時計は、国際的な権力闘争の浮き沈みを記録する目安ではない。 原子力の時代に人類が生きる継続的な危険のレベルの基本的な変化を反映することを意図している... [7]
2007年1月、 The Bulletin 's Governing Boardに参加していたデザイナーのMichael Bierutは、Clockをよりモダンな雰囲気に再設計しました。 2009年、 The Bulletinは印刷版を中止し、米国で初めて完全にデジタル化された印刷物の1つになりました。 The ClockはThe Bulletinのウェブサイトのロゴの一部として見つかっています。 終末期時計シンポジウム[8]の時計の設定のタイムライン、 [5]時計の歴史と文化に関するマルチメディア番組[9]もThe Bulletinのウェブサイトで見ることができます。

フランクレポート









ヴァネヴァー・ブッシュをご存知ですか(EJ1663号)http://electronic-journal.seesaa.net/article/6216336.html

原爆投下は全く必要が無かった--アメリカ人歴史家の指摘    西岡昌紀



世界連邦運動 ウィストン・チャーチル& 新世界秩序 フランクリン・ルーズベルト「原爆投下の目的と大罪」について

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英政府、広島での原爆使用に同意していた 米機密文書から判明

報道によると、同意の事実は、機密指定を解除された米公文書で裏付けられた。この公文書では、イギリスは、大戦末期の1945年7月4日にワシントンで開かれた原爆開発協力の合同政策委員会の会合で同意していたとしている。

http://www.j-cast.com/2013/08/05180806.html

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太平洋戦争末期、アメリカが計画していた日本への原爆投下について、
イギリスが同意していたことがアメリカの公文書で明らかになった。
8月4日、共同通信が報じた。

機密解除されたアメリカ公文書「Foreign relations of the United States: diplomatic papers, 1945. General : political and economic matters Volume II」によると、イギリスが同意を表明したのは1945年7月4日、アメリカ・ワシントンで開かれた原爆開発の相互協力、管理方法を話し合う「合同政策委員会=Combined Policy Committee(CPC)」の席上。

イギリス側代表のウィルソン陸軍元帥が、原爆開発のための「マンハッタン計画」の責任者であるグローブス米陸軍少将らに対し、イギリス政府として公式に「日本への原爆使用に同意する」と発言したという。また、当時のチャーチル英首相がルーズベルト米大統領と、この件について近く協議することを望んでいることも付け加えている。
これに先立つ1943年8月、チャーチル首相とルーズベルト大統領はカナダ東部ケベックで会談し、原爆が完成した場合に「第三の勢力に対して、お互いの同意なく原爆を使用しない」などを定めた「ケベック協定」を結んでいた。

アメリカはワシントンでのCPC会合から12日後の1945年7月16日、米西部ニューメキシコ州アラモゴードで原爆実験に成功。同25日にルーズベルト大統領の後を引き継いだトルーマン大統領によって原爆投下指令が承認され、広島・小倉・新潟・長崎のいずれかの都市への投下命令が出された。そして、8月6日午前8時15分、人類史上初の原爆が広島に落とされた。同9日午前11時2分、二発目の原爆が長崎に投下された。


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最初から落とすつもりだった原爆 相手が日本人だから大量虐殺

ルーズベルトは真珠湾攻撃2カ月前の1941年10月に原爆の開発を決断。翌年、原爆開発のマンハッタン計画に発展します。1944年9月、ルーズベルトと英首相ウィンストン・チャーチルは、原爆が完成したら「日本人に対して使う」という秘密の合意を行いました(ハイドパーク協定)

日本の原爆投下に反省などなく、ソ連にも「核攻撃」をしようとしていた?!チャーチルについてのFBI記録が報道される

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英国チャーチル元英首相 ソ連への核攻撃を米国に説得しようとした
第61代および第63代の首相を務めたチャーチル氏は、共産主義が西側へ入るのを阻止するために、ソ連を先制核攻撃するよう、米政府を説得しようとした。英デイリー・メール紙が報じた。
米連邦捜査局(FB I)捜査官の1人が書いた機密の覚書の中で述べられている。
デイリー・メール紙は、「FBIの記録によると、チャーチル氏は、共和党上院議員だったスタイルズ・ブリッジス氏に、クレムリンを『地球上から根絶』し、ソ連を『あまり重要ではない問題』に様変わりさせることができるであろう核攻撃について、ハリー·トルーマン米大統領を説得するよう粘り強く頼んだ」と報じた。
文書は、ジャーナリストで研究者のトーマス・マイヤー氏の書籍に初めて掲載される。

出典元:https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_11_09/279810537/

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Winston Churchill's 'bid to nuke Russia' to win Cold War - uncovered in secret FBI files公開:2014年11月8日23:03
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2826980/Winston-Churchill-s-bid-nuke-Russia-win-Cold-War-uncovered-secret-FBI-files.html

・秘密のFBIファイルで発見された英国の戦時指導者は、冷戦を勝ち取るために米国にソ連への核攻撃を開始するよう強く要請した
・同氏は、ハリー・トルーマン大統領に核攻撃を開始するよう説得するために、上院議員のスタイルブリッジズに要請した。
・彼は、スターリンのロシアでの先制攻撃が、共産主義が西洋を征服するのを止める唯一の方法かもしれないと信じていた


ウィンストン・チャーチルは、冷戦時代にソ連に核攻撃を起こすよう、米国に要請した。これまでに見られなかったFBIの覚書は、英国の戦時指導者が1947年に訪米したアメリカの政治家に彼の見解を知らせる方法を詳しく説明している
チャーチルは、スターリンのロシアに対する先制攻撃が、共産主義が西側を征服するのを止める唯一の方法かもしれないと考えていた。

FBIの捜査官が書いたこのメモは、チャーチルが右翼共和党の上院議員スタイル橋に、ハリー・トルーマン大統領にクレムリンを抹殺し、ソ連を「非常に簡単な問題」とする核攻撃を開始するよう説得するよう促したと報告している扱う。
ロシア人は、当時の核攻撃に対して無防備であったであろう - 彼らは1949年まで彼ら自身の原子爆弾をうまくテストしなかった。

第二次世界大戦では英国とソ連は1945年まで同盟国であったが、チャーチルは首相として敗北した。しかし、彼はソ連が提唱した戦後の脅威を認識する最初の国際政治家の一人であり、1946年にミズーリ州フルトンで有名なスピーチをした。ジョセフ・スターリンが大陸の東半分。
FBIの文書によると、英国の戦時同盟国へのチャーチルの反撃は非常に深刻なので、何十万人ものソ連の民間人が核攻撃で死亡するのを容認する用意ができていた。「世界の文明の唯一の救済は、米国の大統領がロシアが世界平和とロシアを攻撃することを宣言するかどうかであろう」と述べた。
「原子力爆弾をクレムリンに落として拭き取れば、方向性のないロシアのバランスを扱うのは非常に簡単な問題だろうと指摘した。」チャーチル氏は、これが行われなければ、ロシアは今後2〜3年以内に米国を攻撃し、原爆が襲って文明が抹殺されるか、何年も前倒しになると述べた。

このメモは、賞を受賞した捜査ジャーナリストのトーマス・マイヤー氏が「ライオンズ・ロア:チャーチルズとケネディーズ」という本に初めて掲載されたものです。それは来月に英国で出版される予定です。 John F. Kennedyはチャーチルを英雄とみなし、1963年にその名誉あるアメリカ人市民となりました。
2人の家族は、夫の暗殺の後、ジャクリーン・ケネディと結婚したギリシャ船乗りのアリスター・オナシスのような友人を分かち合いました。
マイヤーは言った:「チャーチルは戦争の偉大な歴史家でした。彼は、第一次世界大戦中に最後の騎兵師を見て、戦車の開発を支持しました。」
「核兵器による荒廃がさらに増えることを知るまで、核攻撃は従来の戦争のもう一つの進歩だと思った。マイヤー氏は、チャーチルが就任しなくなったときにはもっと「正義」だったと語った。彼が1951年に電力に戻った後、ソ連に対する核攻撃は決して再び言及されなかった。

第二次世界大戦の戦争勝利を意味するVICTORYサインは「世界平和」とは名ばかりの「世界政府樹立=スーパーエリートと特権階級による世界支配」

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Wikipedia新世界秩序(New World Order)

新世界秩序(New Worldorder)という用語自体は第一次世界大戦後頃から
英米の政治家によって多用されるようになった。
公式で確認されている中でも、国際連盟の設立とベルサイユ体制の構築によって大国間の勢力均衡が大きく変化したことを指してアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領が新世界秩序という用語を使っている。
その後、第二次世界大戦の悲惨な帰結を見たウィンストン・チャーチルが破滅的な世界大戦を避けるには国民主権国家を廃絶し世界政府の管理による恒久的な平和体制の実現が不可欠であるとして、この言葉を使った。

SF小説家で歴史家としても著名なH.G.ウェルズは国家の存在を認める国際連盟を批判し、主権国家の完全な根絶と、高級技術官僚や少数のエリートによる世界統一政府を通じた地球管理を訴え、1940年に『新世界秩序』(New World Order)を出版しその持論を述べた。

世界連邦運動公式サイトにもチャーチルの名が書かれている
平和な世界を目指して 50数年にわたって続けられている平和への動きの箇所
http://www.wfmjapan.org/001/index.html

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日本での世界連邦運動のサイトには核兵器の破壊から救うため世界連邦機構をつくるべくアインシュタインやチャーチルが世界連邦運動の必要性を強調したとなっている。原爆研究開発・投下に加担していた連中が、自分たちへの反省の弁など一切なく世界政府樹立・世界連邦機構を創設しようといいだすことに虫唾が走ります

海外の世界連邦運動
WORLD FEDERALIST MOVEMENT (WFM)の公式サイト
ウィンストン・チャーチルの言葉

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Winston Churchill Quote
"Unless some effective supranational government can be set up and brought quickly into action, the prospects of peace and human progress are dark and doubtful."
Winston Churchill, British Prime Minister

「いくつかの効果的な超国家的政権が立ち上げられ、迅速に行動に移されない限り、平和と人間の進歩の見通しは暗く疑わしい」

ウィンストンチャーチル英首相

http://www.wfm-igp.org/quote/winston-churchill-quote

      WFM公式サイト:著名な世界連邦主義者    

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http://www.wfm-igp.org/our-movement/historical-world-federalists
一覧にはアインシュタイン・HGウェルズなどの名前がある

1939年チャーチルの自宅にて:アインシュタインとチャーチルの写真

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Inventor  (R) visiting with Winston Churchill at Chartwell, Churchill's home.January 01, 1939 


世界政府主義者一覧

※広島・長崎への原爆投下・原子爆弾の研究開発とその関係者が名を連ねる

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ウィンストンチャーチル
イギリス首相、政治家、政治家。 1874〜1965年生存
「何らかの形の世界政治を確立しなければ、将来の第三次世界大戦を回避することはできない」
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アルバート・アインシュタイン
理論物理学者、ノーベル賞受賞者。 生きた1879-1955
「人類の平和への願いは、世界政府の創設によってのみ実現することができます。 私の心の中で、私は、世界の現在の主権国家制度は、野蛮主義、戦争、非人道主義にしか導くことができないと信じています
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ハリー・S・トルーマン
米国の第33代大統領。 1884-1972年生存
「米国の共和国にいるように、国家が世界の共和国にやってくるのと同じくらい簡単になるだろう」
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H. G.ウェルズ
著者。 1886-1946年生存
「他の人々と一緒になって、世界を偉大な世界文明にして、私たちが約束を実現し、この新しい時代の危険を避けることができるように」

Imperial War Museums(帝国戦争博物館)の物販においては、チャーチルのスピーチ文言が入った「Vサイン」のタオルやマグカップの販売していた。

 what is our aim? I can answer in one word: Victory.

Blood, toil, tears, and sweat

私たちは、歴史の中で最も大きな戦いの一つの準備段階にあります。ノルウェーとオランダでは、地中海での準備が必要です。空中戦は継続的であり、多くの準備がここで自宅で行われなければならないということです。
私は、この政府に加わった人たちに言ったように、下院にこう言うでしょう。私は提供するだけでなく、血、苦労、涙と汗を提供するだけです。私たちの前には、最もひどい種類の試練があります。私たちの前には、たくさんの長い闘いと苦しみの月があります。
あなたは、私たちのポリシーは何ですか?私は言います:それは、すべての私たちの力と神が私たちに与えることができるすべての力で、海、陸、空によって戦争をすることです。人間の犯罪の暗く嘆かわしいカタログで決して凌駕されたことはありませんでした。それが私たちの方針です。あなたは尋ねる、私たちの目標は何ですか?私は1つの言葉で答え得る:勝利。すべての勝利 - 全ての恐怖にもかかわらず勝利 - 勝利、長い道のりがあるかもしれないが、勝利なしには生存はないチャーチルが元々読んだテキストの写し

Imperial War Museums公式サイト http://www.iwm.org.uk/   
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        Churchill victory tea towelの説明
1940年5月13日、ウィンストン・チャーチルは、満場一致で合意した新政府の自信投票を求める下院の首相としての最初の演説を行った。チャーチルは新しい政府の戦争の目的を演説の中で明示し、ただ一つの言葉で答える。 勝利。 チャーチルの最も忘れがたい言葉の一つをお祝いして、このティータオルの独特のデザインが特徴です。
http://www.iwmshop.org.uk/product/25378/Churchill_victory_tea_towel

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チャーチルと古代ドルイド教。チャーチル「Vサイン」は戦争への勝利というのは表向きで、英国魔術師アレイスター・クロウリーが発案者という記事

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スチュアート・ピゴットの著書The Druidsの写真は、若いチャーチルがいくつかの男性に囲まれていることを示しています。碑文によると、この写真は1908年8月、彼の家族の家であるブレナムで、教会が1908年8月にドリューズの古代勲章のアルビオンロッジに着手したことを示しています。


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ウィンストンチャーチル、オックスフォードのドルイドの古代秩序のアルビオン
ロッジのメンバー出典元:Ancient Order of Druids

Wikipedia Vサイン
1941年7月には、「V」字の象徴的な使用は、ドイツ占領下のヨーロッパの全域に広まっていた。7月19日、イギリスの首相であったウィンストン・チャーチルは、「V for Victory」キャンペーンについて演説の中で肯定的に言及し、以降、手で作るVサインを自ら使い始めた。初めのうちは、手のひらを内側に向けたり、葉巻を指に挟んだ状態でもこの仕草を見せた。後に、戦争が続いていくと、彼ははっきりと手のひらを外側に見せるようになっていった。(貴族であった)チャーチルは、従者から、他の階級にとって手のひらを内側にするジェスチャーが何を意味しているかを説明されてからは、適切にこのサインを出すようになった。やがて、連合軍側の他の指導者たちも、このサインを用いるようになった。シャルル・ド・ゴールは、1942年以降、 晩年の1969年至るまで、すべての演説の際にVサインを用いた。
1942年、イギリスのオカルト信奉者アレイスター・クロウリーは、1941年2月からのVサインの使用は自分の発案であると主張し、これはナチスによる鉤十字(スワスティカ、ハーケンクロイツ)の使用に対する魔術的な対抗手段なのだと述べた。彼の主張によれば、彼はこの考えをBBCに所属していた友人に伝え、さらに、MI5とのつながりを介して海軍情報部(英語版)に伝え、チャーチルの承認を得たのだという。クロウリーは、自身が1913年に出版していた著書『Magick』の中で、Vサインと鉤十字を同じ図版の中で使っていたことも強調した。           イメージ 39
V for Victory and the Mark of the Beast, enclosed in the downward-pointing triangle of Ra Hoor Khuit and featuring the slogan “In Hoc Signo Vinces” (“in this sign you will conquer”).Vの勝利と獣の印、Ra Hoor Khuitの下向きの三角形で囲まれ、スローガン "In Hoc Signo Vinces"( "あなたが征服するこの看板")を特徴としています。
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The Guardianより抜粋翻訳
また、チャーチルに有名な勝利サインを与えたクローリー、ナチスが卍を使うのを妨げる魔法のようなジェスチャーでもあった。 確かに、彼の手は多くの予期しない場所に現れています - 彼はスタンフォードブリッジをアレンジしてチェルシーにチームカラーを与えたという話さえありますが、彼の隠された影響はイギリス戦争やプレミアリーグに限られませんでした。


Aleister Crowley 2012V for Victory 抜粋翻訳:Aleister Crowleyは彼が最初であった「Vサイン」を出版するために、彼は第二次世界大戦でナチスが卍を使用するのに魔法の箔としてチャーチルのジェスチャーの使用を発明したと主張した。クロウリーはこの考えをBBCの友人やMI5での彼の関係を通して英国海軍情報課に渡し、最終的にWinston Churchillの承認を得ました。
「勝利のためのV」の象徴は、イクシス、アポフィス、オシリスの物語を指しています。ヘクサグラムのLesser Ritualに描かれています。この儀式では、卍はイシスの悲しみを表現するのに使われています。 "V"は破壊者であるアポフィス(Apophis)またはティフォン(Typhon)を象徴するために使われる。この象徴は、ApophisがOsirisを殺してIsisを嘆くようにして以来、Crowleyが "V"を卍に使用していることを説明しています https://ac2012.com/2011/01/22/v-for-victory/
Aleister Crowley: Grandpappy of the V for Victory Campaign?抜粋翻訳
http://www.deathandtaxesmag.com/47253/aleister-crowley-grandpappy-of-the-v-for-victory-campaign/

①チャーチルが米英軍の犠牲者も損害も出さずに、2・3回の原爆投下で終戦させたのだから奇跡だという発言をしている。

②日本に原爆投下後、再びチャーチルが首相になり「原爆を保有」した。「核廃絶」どころか「核」を広めたのである

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出典元Wikipedia:ウィンストン・チャーチル

③チャーチルはイギリス初の核実験を広島・長崎原爆投下での敗戦後の7年後におこなった。

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出典元:Wikipedia:核兵器の歴史 初期の核拡散 

  フランクリン・ルーズベルトの「Vサイン」と「新世界秩序」

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①ルーズベルト大統領、新世界秩序(New World order)のスピーチ動画

①アインシュタインとシラードの手紙を発端にマンハッタン計画推進
原爆研究開発を国家プロジェクトにした、広島・長崎原爆投下へ至る

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出典元:フランクリン・ルーズベルト マンハッタン計画
ルーズベルトは、1939年にレオ・シラードとアルベルト・アインシュタインのからの書簡を契機に、原子爆弾の開発計画であるマンハッタン計画を推進した

②日本人限定の人種改良論・日系人の強制収容政策推進

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出典元:フランクリン・ルーズベルトWikipedia 人種改良論

ルーズベルトは、スミソニアン博物館の研究者による、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人種間の差異を重視し、人種交配によって文明が進歩する」などと語り、「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人は除外する」、「日本人が敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて奨励すべきである」などとキャンベルに語ったという。

③フランクリン・ルーズベルト夫人のエレノア・ルーズベルトは「フリーダムハウス」を創設、共同創設者は共和党のウェンデル・ウィルキーである

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http://www.nikkei.com/article/DGXIMMVEW4039009072008000001/

④エレノア・ルーズベルト夫人と一緒にフリーダムハウスを創設した共和党のウェンデル・ウィルキーは「Oneworld」というタイトルの本を出版

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※ウェンデル・ウィルキーとフランクリン・ルーズベルトは米国大統領選で戦っていたがウェンデル・ウィルキーが負けている

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⑤エレノア・ルーズベルトはフリーダムハウスの創設者、国連代表団の一員を歴任して婦人運動でも活動していた。

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1945年4月12日にルーズベルトが死去すると、エレノアは家族と共にニューヨーク州ハイドパークの私邸に退き、そこで静かな余生を送るつもりだった。しかし、夫の跡を受け継いだトルーマン大統領の要請で国際連合の第1回総会代表団の一員に指名される。上院の同意を得て正式に任命されたエレノアは、1946年にロンドンに赴任し総会に参加。ロンドン総会では人権委員会に参加、委員長に選出。人権委員会は世界人権宣言の起草に着手し1948年12月に国連総会で採択された。フランク・シナトラと(1947年)エレノアはそのまま1952年までアメリカ国連代表をつとめている。国連代表を退任した1953年からは各国の女性団体に招聘され、女性の地位向上に八面六臂の活躍をした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88

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https://freedomhouse.org/content/our-history
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フリーダムハウスは、色の革命で資金提供していたCIAフロント組織
全米民主主義基金NEDやソロス財団とも連携している
民主化運動という大義名分のもと他国に内政干渉して脱国家主権を企てる
グローバル化推進=世界連邦運動をしている、背後は戦争屋勢力。

アメリカ大統領執務室にあるチャーチルの像の意味

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ジョージH・Wブッシュは、1990年9月11日の湾岸戦争戦争前に連邦議会で「新世界秩序に向けて(Toward a New World order)」というスピーチをおこなった。その11年後の同日ー2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件があり、アフガニスタン・イラク戦争へ突入した。

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Wikipedia新世界秩序
1990年9月11日にジョージ・H・W・ブッシュ大統領が湾岸戦争前に連邦議会で行った『新世界秩序へ向けて(Toward a New World Order)』というスピーチでアメリカでも有名になった

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Wikipediaアメリカ同時多発テロ
アメリカ同時多発テロ事件は、2001年9月11日にアメリカ合衆国内で同時多発的に発生した、航空機等を用いた4つのテロ事件の総称である。

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チャーチル像「復活」…ホワイトハウス模様替え
米メディアによると、トランプ氏はまず第2次大戦時の英首相ウィンストン・チャーチルの像を大統領執務室に戻したという。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO001479/20170122-OYT1T50018.html

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チャーチル首相が日米開戦直後の1941年12月のクリスマスに極秘渡米し、「(米英は)結束した兄弟のような関係」と強調した演説を引用し、協調して世界を導こうと書かれていた。
 ホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談し、連合国共同宣言などで合意したチャーチルは、シャワーを浴びた直後、訪れたルーズベルトに「われわれ英国は隠し立てするものは何もない」と仁王立ちして親しくなったといわれる。
 トランプ氏もオバマ前政権が撤去したチャーチル胸像を執務室に戻してメイ氏を迎えた。チャーチルが壊れた「特別な関係」を復活させた形だ。

http://www.sankei.com/column/news/170206/clm1702060007-n1.html

トランプの夢は「大統領令1081回」のルーズベルト | 毎日新聞出版 
 ルーズベルト家はトランプ家と同じように裕福だった。ユダヤ系オランダ人が起源で、1649年にクラウス・M・ローゼンベルツという人物がオランダから移住、2代目ニコラスがファミリーネームをルーズベルトと改め、その時代に家系が二つに分かれた。一方がセオドアの家系。もう一方がフランクリンの家系である。そのお金持ちの倅(せがれ)・セオドア・ルーズベルトが政治家を目指した理由は長くなるのではしょるが、1901年、ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺され、副大統領のルーズベルトが42歳という若さで大統領に就任した。
トランプ氏は、まず彼の「強運」を尊敬している。もちろんルーズベルトの仕事も高く評価している。海軍力を背景に、パナマ運河の完成の後ろ盾となった。まさにアメリカ第一主義だ。トランプ氏が一番、尊敬していることは「大統領令」である。在任中、ルーズベルトは1081回もの大統領令を発令した。大統領絶対主義である。米英戦争以来の米国外交方針の国是となっていたモンロー主義に基づき、西半球に積極的に介入したルーズベルトの外交政策だ。砲艦を並べて欧州諸国が介入するのを妨げる。砲艦をちらつかせる権利を持ち続ける「脅しの外交」。


チャーチル、ルーズベルト、マッカサー、ブッシュ等は家系図で繋がっていた。

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http://www.history.com/news/10-things-you-may-not-know-about-the-roosevelts?cmpid=Social_Twitter_SiteShare

フランクリン・ルーズベルトは11人の他の大統領と関係していた。
アブラハム・リンカーンとジョージ・W・ブッシュは第7のいとこ、ジミー・カーターとジョージ・ワシントンは第9のいとこでした。毎日のように、アメリカの大統領の系譜をたどる新しいレポートがあります。 しかし、ジョン・アダムス、ジェームズ・マジソン、ジョン・クインシー・アダムス、マーティン・ヴァン・ビューレン、ウィリアム・ヘンリー、フランクリン・デラノ・ルーズベルトのように、大統領とは数多くの司法関係を誇っている。 ハリソン、ザカリー・テイラー、アンドリュー・ジョンソン、ユリシーズ・グラント、ベンジャミン・ハリソン、ウィリアム・ハワード・タフト、そしてもちろん、FDRの五番目のいとこであるセオドア・ルーズベルト。 ルーズベルトの有名な家系図はホワイトハウスで終わらない。 彼はまた、ウィンストン・チャーチル、ダグラス・マッカーサー、そして2つの有名な南軍指導者、ジェファーソン・デイヴィスとロバート・E・リーを含むいくつかの他の歴史的人物との関係も伝えられていた。


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世界連邦運動のスポンサー一覧の中には
The John D. and Catherine T. MacArthur Foundation」(マッカサー財団)も入っているのでマッカサー自身も世界連邦運動主義者だったのでしょう

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チャーチルと関係のある一族の検索サイト
https://famouskin.com/family-tree.php?name=12944+winston+churchill
ブッシュ一族の系譜
https://en.wikipedia.org/wiki/Bush_family
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%AE%B6

エンタブリッシュメントの系図の一族が戦争へと導き、グローバル化→新世界秩序→世界連邦を推進、海外と日本と同じ構図。

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